作家別作品集

吉村昭

吉村昭は緻密な取材と調査に基づき、あくまでも主人公の目の位置にカメラを据え、透徹したまなざしで物事を捉える。余計な情念や華麗なレトリックを排したその筆致は淡々としていて、ときに物足りなく感じられることもあるが、それだけにじわじわと心に染みる。

最も好きな作家の一人です。


☆5つが最高。面白い、絶対お薦めです。

今回は
☆4つ以上をUPしました。



文学系は次回UPします。

お勧め度 内容・収録作品
歴史小説
漂流 ☆☆☆☆☆
天明5年。土佐の小さな港町に住む水主・長平は、ある日、わずか8里先の隣町へ米を届ける帆船での航海に出発した。急な暴風と激浪により、操船設備に損傷を受け、遥か遠くへ流されてしまう。黒潮に乗った船が辿り着いたのは、水も植物も満足に得られない絶海の無人島、現在の伊豆諸島・鳥島であった。そして12年にわたる漂流生活が始まった。火山島である鳥島には、川や池など自然の水源はなく、共に流れ着いた2人の仲間と、雨水をアホウドリの卵の殻に貯めてようやく淡水を確保する。この島はアホウドリの越冬地であるため、彼らは来る日も来る日も鳥を捕獲して食べ続けた。植物も育たないこの島で他に目ぼしい食糧は無い。ところが、渡り鳥であるアホウドリは、春が訪れると鳥島を飛び立ってしまう。極限状態に置かれた長平はどうするのか。長平の精神力との戦い、また次々と流れ着く漂流者と様々な脱出方法を試みながら、一喜一憂する様が淡々とした筆致であるがゆえに一層心に染みる。面白い。お薦め。2度読みました。

ふぉん・しーほるとの娘 ☆☆☆☆☆
吉川英二文学賞受賞
楠本稲はシーボルトと長崎の遊女其扇との間に生まれた。稲が2歳の頃シーボルトは国外追放(シーボルト事件)になるが、滝と稲が忘れられず、帰国しても49歳まで再婚しなかった。偉大な医学者の娘として尊敬を集めるはずの彼女は、父の追放により一転犯罪者の娘となってしまう。母滝と共に稲は美しい娘に育ち、伊予宇和島の二宮敬作の元で、外科、その他一般医学を学ぶ。その後、岡山の石井宗謙のもとで産科学を学ぶが、宗謙の暴力によって妊娠し、娘「ただ」を産み、長崎へもどる。長崎で、医者として開業しながら阿部魯庵について再び産科学を学び、長崎を訪れた村田蔵六(後の大村益次郎)からはオランダ語を学ぶ。後に東京に出、産科医として開業。幕末から明治にかけての波乱の中、しかも「混血児」という不利な境遇を乗り越えたイネの一生は、偉大な父シーボルトの名に恥じないものであった。 医学にいどみ、オランダ語を学び、未婚の母という重荷を背負いながらも、強い意志と気力 をもって生き抜いた女性である。最後は読み終わるのが惜しいほど。2度読みました。
吉村昭の小説の中で女性を主人公にしたものは少ない。また女性の読者も少ないようだが、手はじめに読むならこれから。
北天の星 ☆☆☆☆
北海道の番小屋の番人に過ぎなかった五郎治はロシア船に襲撃され拿捕、オホーツクに連れ去られる。異国での貧困、差別の暮らしの中で、ロシア語の上達の速さ、漢字能力の高さから日本語教師になるようにロシア側は強要したが、日本に帰国する事を願い続け2度脱出を試みる。極寒のなかでの逃亡生活は悲惨を極める。が失敗。オホーツクへの帰路「牛痘法」についての本を入手、そして帰国までの間オホーツクで、牛痘法の実際を学ぶ。そしてついに日露間の交渉のなか政治的に時期を得て運良く帰国する機会に恵まれた。帰国してからの罪人扱いなど当時の幕府の政策も興味深いが、天然痘を予防する植え疱瘡という治療法を、初めて日本で実践し「植え疱瘡屋」を開いた五郎治。帰国後は、名誉欲、金銭欲に駆られる凡人に描かれているが、これは事実に即したものだからだ。
「おろしあ国酔夢譚」とは又違った面白さ。お薦めです。


黒船 ☆☆☆☆
主人公の堀辰之助 1848(嘉永1)アメリカの捕鯨船員マクドナルドから英語を学び、'54(安政1)ペリー再来航の際に小通詞として徴用され、応接掛林大学頭をたすけて活躍。のちに下田奉行付の通詞に任ぜられたが罪を得て入牢するが才能をかわれて出牢を許され、蕃書調所対訳辞書編輯主任、翌年同所筆記方を兼任。「官板バタビヤ新聞」を発売させた。同年、日本初となる本格的な英和辞書「英和対訳袖珍辞書」を発行。のち開成所教授となり、維新後は開拓使大主典に任ぜられた。歴史の大転換期を生きた彼の劇的な生涯を通して、激動する時代の日本と日本人の姿を克明に描いた佳編。幕末から明治にかけての日本に対する欧米各国の動きと黒船来航時の江戸幕府の対応が興味深い。


☆☆☆
短編集 表題のほかに 三色旗、コロリ、動く牙、洋船建造
豊臣秀吉の切支丹禁止政策のみせしめとして耳をそがれた宣教師と信者を含む二十四人が引回しの上、切支丹勢力がもっとも強い長崎に送られ、磔にされた。二十六聖人の殉教を描いた作品。

破船 ☆☆☆
生活が貧しすぎる村人達は、夜間に浜辺で塩焼きをした炎によって船を岩礁に誘導し座礁させ、荷を奪う事によって生活を富まさせた船をお船様と呼び崇拝しました。しかし、お船様からは村に恵みを与えただけでなく、不幸なものまで運んでしまった。事件を通して、江戸時代の庶民の厳しい生活を描いた作品。

海の祭礼 ☆☆☆
日本に不法侵入して日本初となるアメリカ人による英語教師となったラナルド・マクドナルド、通訳として各国との条約締結のほとんど全てに関わり外交官として活躍した森山栄之助を通して、ペリー来航の背景・開国にいたる経過を描いた作品。
記録小説
羆嵐
☆☆☆☆
大正4年の冬、開拓が進む北海道手塩山麓の小さい村に、一頭の巨大なヒグマが出現した。体長2.7メートル、重さ380キロにのぼるその巨大なヒグマは、冬の出稼ぎで不在の男たちに代わって家を守る女や子供たちを次々と襲い、2日間で6名もの死者を出した。隣村の男たちや警察隊も駆けつけ、銃を手にヒグマ狩りを行うが、あまりに巨大で凶暴なヒグマの前では、誰も手を出せずにいた。
そこで白羽の矢が立ったのが、銀四郎という熊撃ち猟師であった。彼は確かな腕を持つにも関わらず、酒乱であり、かつ村人たちへの暴力や金銭を要求などのため恐れられ、疎んじられていた。彼に協力を仰ぐ事を人々は強く拒んだが、村落のトップである区長の判断で、銀四郎に熊撃ちを依頼する事になる。
老練な猟師と類希な巨大ヒグマとの静かな戦いは、そこから幕を開けるのである。
「苫前羆事件」という実話をベースにした小説。自然を「開拓」して山野に分け入った開拓団の人々の苦悩を、ヒグマや蝗害などの自然の脅威を通じて描いた好作品。今日「環境保護」というと、人間という「強者」が自然という「弱者」を守る事というイメージが強いが、そんなイメージの白々しさを実感させてくれる。お薦めです。


赤い人
☆☆☆☆


明治14年の春、札幌から北東に約20キロ離れた人里離れた原野に、多くの屈強な囚人たちが送り込まれた。明治維新後の度重なる反乱事件により、各地の集治監(監獄)に収容される囚人が増加し、収容人員が限界に達したため、屈強な囚人を送り込んで新たな監獄を作る決定がなされたのだ。
朱色の獄衣を身に纏った囚人たちは、木を切り倒し、根を掘り返しては土地を切り開き、最終的には自らが収容される事になる獄舎を建設していく。また同時に道を開き、広大な農地をも作り出していった。過酷な作業内容と厳しい自然、そして何よりも粗末な食事と不十分な収容施設により、囚人たちの消耗は激しく、病死するもの、脱獄を試みて斬殺される者が相次いだ。監獄完成後も、囚人たちは道路建設や石炭・硫黄鉱山での労働に駆り出され、膨大な人数の囚人が命を落とした。だが政府の方針は変わらなかった。「囚人たちは暴乱の悪徒であり、彼らを無報酬の労働に用いるのは懲罰としても国の経済面からも効果的であり、たとえ苦役に耐えず斃死したとしても、それは彼らを収容していくコストが節約できるだけである」という考え方に基づいて、多くの囚人たちが命を落としていったのだ。
この小説は囚人たちが置かれた過酷な境遇を鋭く告発し、彼らが果たした北海道開発への貢献を後世に伝えている。だがそれよりも、「破獄」でみられるような、囚われる側(囚人)と捕らえる側(典獄・看守、行刑制度全般)との間の緊張感に満ちた関係にこそ作品の主題が置かれているのだ。囚人が看守に向ける殺意に満ちた憎悪、そして看守が囚人から受ける恐怖は、作品の後半において徐々に高まり、脱獄囚が非番の看守を惨殺した事件で一挙に具現化する。一貫した主人公が設定されていないため、吉村氏の他作品と比べてドキュメンタリータッチがかなり濃い作品である。にも関わらず、囚人と看守との息詰まる関係をここまでリアルに書けるのは、吉村氏の筆力にしてはじめて完成する技といえる。 

逃亡 ☆☆☆☆☆
海軍霞ヶ浦飛行隊所属の若い整備兵だった望月幸司郎がその男と出会ったのは、ふとした事がきっかけだった。女友達の実家に遊びに行った非番のある日曜日、上野駅で常磐線の終電に乗り遅れて途方に暮れていた望月はその男に声を掛けられ、彼の車で土浦まで送り届けてもらったのである。
朝の集合時間に遅れればひどい体罰を加えられる。そんな恐怖から逃れることができた望月は、田中と名乗るその男に大いなる恩義を感じ、飛行隊が使う落下傘を一週間だけ貸して欲しいという彼の頼みを受け入れる。だがその後田中の要求はエスカレートし、暗号表の持ち出しまで迫るようになる。望月も戸惑うようになり、田中を疑い始めるが、そんな最中、些細な不手際から落下傘の持ち出しが発覚し、厳しい犯人探しが開始される。関与がばれれば軍法会議に掛けられ死刑になると田中に脅された望月は、その指図通り、事態の撹乱を図るべく収納庫に格納されていた軍用機を爆破する。発覚を恐れて部隊を脱出した望月の長い逃亡生活は、こうして始まった。
戦時下の日本に、過去を隠して生きる事ができる場所はそれほど多くはなかった。望月は北海道の「タコ部屋」に入り、彼と同じく人に言えない過去を持つ男たちとともに日々働いた。そして迎えた終戦。軍隊の消滅とともに果たして彼の罪は消えるのか。望月の心は揺れ動く。
この作品は、Uという謎の男から吉村昭氏に一本の電話がかかって来る所から始まる。事の顛末と望月氏の現在の連絡先を伝える謎の電話を基に、吉村氏が望月氏のもとを訪れ、長年秘められていた話を聞き出すのだ。都内近郊で八百屋を営む年老いた望月氏は、結局のところ田中の素性はわからず、また吉村氏に電話してきたUという男にも心当たりがないという。正史には決して出てこない戦争の闇の世界を垣間見ることができる作品。最後の2ページが特に秀逸で印象深い。 

蚤と爆弾 ☆☆☆☆☆
第二次大戦中、いわゆる七三一部隊の手によってハルビン郊外で密かに行われていたとされる細菌戦研究は、81年に森村誠一の「悪魔の飽食」により一挙に世間の注目を集めた。細菌学の権威だった石井四郎・陸軍軍医中将が率いたこの部隊は、当時世界最高レベルだった技術力を基に、米国・ソ連との最終決戦に向けて、ペスト菌やコレラ菌などを用いた細菌兵器の開発・製造に従事していた。本書は、石井四郎をモデルにした陸軍軍医中将を主人公に、荒れ狂う戦争の渦の中でどのようにして彼の部隊が生まれ、そして消えていったかを小説として描いている。
満州に開設された極秘研究施設では、細菌兵器の研究や、凍傷対策のため、多くの捕虜に対して人体実験を行なった。送り込まれてくる捕虜は、いずれにしても死刑を免れない者ばかりだった事もあり、スタッフ達は、日々淡々と実験を進めていった。医学の発展には犠牲が不可欠、という彼らの信念が確かにそこにあった。
「悪魔の飽食」は、当初赤旗新聞にシリーズ掲載された事からも分かるように、「日本軍の悪を糾弾する」というタッチで書かれており、当然その視線は外から対象物(七三一部隊)に向けられていた。対してこの作品は、曾根という主人公を通じて、戦争を実際に進めてしまう人々の内面を描き出すことで、戦争の残酷さを内面から静かに告発している。執筆の視線は内から対象物に向けられており、この事が2つの作品の読後感に大きな違いを生じさせている。個人的には、本作品の方が胸に重く響き、戦争というものを深く考えさせてくれた。重厚感に富む優れた作品。

高熱隧道 ☆☆☆☆
日本が戦争への道を着々と歩んできた昭和11年、一つの大工事が富山・黒部峡谷で開始された。阪神地区の工業生産を支える電力を産出する、黒部第3発電所である。軍事力増強が喫緊の課題となっていた当時、この発電所建設は単なる電源事業の枠を越えた、国家的・軍事的性質を色濃く帯びたものであり、中央官僚や軍部からも幅広い注目を集めていた。発電所工事において重要なのは、上流で取り込んだ水を、発電機がある下流まで導くトンネル工事である。自然の標高差を利用して建設されたトンネル内で水を勢いよく落下させ、発電機のタービンを回すのである。山岳部の固い岩盤を穿ってトンネルを建設するのは、当時の技術力をしてもそれほど困難な事ではないとされるが、黒部第3発電所の場合は事情が違った。温泉を擁する高温帯を貫かないとならないのだ。
岩盤の最高温度は摂氏165度。切羽付近の気温は70度近くに達し、削岩機を用いて掘削にあたる作業員は、背後から放水を受けながらも火傷を免れない。たまった水は腰の高さにまで達し、それの温度も40度を超えていく。気温70度のなか、熱い風呂につかりながら作業を進めるようなもので、彼らの消耗ははげしい。高熱による発破用ダイナマイトの誘爆も頻発し、大量の死者を出すに至った。また危険なのは坑内だけでなく、外に設けられた宿舎も、大規模な雪崩によって壊滅的な被害を受け、工事全体では300人以上の死者を出した。
大量の死者を出した事に、現場の技術陣は大いなる自責の念に駆られる。自殺者すら発生する。死の恐怖に怯えながらも従順に作業をこなす作業員との間に、心の隙間が広がっていく。しかし時代背景は、工事の中断を許さない・・。 工事を指揮する技術陣を中心に、稀代の難工事を克明に綴る良質な記録文学。被害がさらに拡大するにつれて、幹部の誰もが次第に責任を回避するようになり、それを「時代」に押し付けていく姿を吉村氏は冷徹に描いている。そう、時代が悪いのだ・・・。そうやって責任の所在が不明確となり、もう誰も止められなくなる。戦前・戦後を通じて幾度となく繰り返されてきた日本人のこの行動パターンはもう変えられないのか。諦観さえ覚えてしまう


遠い日の戦争 ☆☆☆☆
ポツダム宣言受諾と共に迎えた終戦。この日から日本国民は戦争による死の危険を免れた。多くの餓死者が出るほどまでに悪化した食糧事情の中、これまで敵であったアメリカ軍に占領され、多くの人々は著しい戸惑いと疲弊状態に置かれたが、「民主主義」の文字に新しい日本への希望を見出して生きていた。そんな中、終戦後にも関わらず生命の危険に怯えて暮らす人々がいた。旧軍に従事していた際に敵国捕虜を殺害したり殴打した旧軍人達であった。当時占領軍によって行われた軍事裁判は熾烈を極め、上官の指示で捕虜を殴ったに過ぎない多くの兵士が絞首刑を執行されるなど、多くの旧軍人が日本軍に対する「制裁」として処刑されていた。
主人公・清原琢也は、徴兵された「非職業軍人」として空襲情報主任の任務に当たっていた。任地の福岡で大空襲を目の当たりにした彼は、一般市民を無差別に殺すアメリカ軍への怒りから、収容されていた米兵への斬首刑に自らの手を下したのだ。
かつては英雄的行為とされた事が終戦によって「犯罪」となる。尊敬を集めた旧軍人が「犯罪者」として追われの身となり、人々の目を避けて生きていく事を余儀なくされる。この作品は
「追われる側」の立場から「強者による一方的な裁判」とよばれる極東軍事裁判を描いていることで興味深い。


破獄
☆☆☆☆
戦中・戦後にかけ、脱獄を4回も成功させた囚人がいた。準強盗致死罪で無期懲役の刑に服していた佐久間清太郎である。
彼はその人並外れた体力と知能を活かし、厳しい警戒態勢にある刑務所を易々と脱出し続け、世間の関心を集めた。度重なる脱獄は行刑当局でも大きな問題となり、彼を収容する刑務所は特製の独居房や手錠・足錠を用意し、厳戒態勢で佐久間に臨むが、彼の前ではあらゆる努力が無駄に終わってしまう。
刑務所が鍛冶屋に作らせた特製手錠には、鍵がなかった。佐久間の手を中に通したあと、鍵代わりのボルトを通してその頭を金槌で潰してしまうのだ。外すには金鋸で手錠を壊すしかなく、それには一時間を要する。絶対に外せないと刑務所側は胸を張るが、果たして佐久間は手錠を外して脱獄してしまう。食事で出る味噌汁を使って、ボルトの部分を錆びさせて外してしまったのだ。
佐久間の度重なる脱獄に刑務所職員は頭を抱え、彼に対する処遇は徐々に厳しくなっていく。後ろ手錠を常時はめられ、犬のように口だけで食事を取る佐久間に、人間としての尊厳は失われていた。それでも彼は脱獄を繰り返す・
「なぜ佐久間は脱獄するのか?」 ある刑務所幹部がこの問いに真摯に向き合ったとき、佐久間と刑務所との戦いは初めてその性質を変えるのだった。
ドラマのような話が続くが、なんとこの小説は実話を基にしている。登場人物は全て仮名だが、現実の日本に「佐久間」は実在したのだ。本作品は、彼が脱獄を繰り返す模様をベースに、急速に戦時色を強めていく法務行政や、刑務所の食糧難、そしてGHQによる戦後統治の実態など、多くの時代背景を盛り込んで展開される、得がたい記録小説である。


仮釈放 ☆☆☆☆
千葉の田舎町で高校教師をしていた菊谷史郎は、愛する妻と仲良く暮らす平凡な男であった。ところがある日、自分の留守中に妻が知り合いの男と情事に耽っている所を目撃してしまう。裏切られた事に対する憎しみから、菊谷は妻を包丁で刺殺し、男に重傷を負わせ、かつ男の家に火を放って男の母を焼死させてしまう。無期懲役の判決を受け、真面目に刑に服してきた菊谷に、16年目になって仮釈放の機会が巡ってきた。
しかし16年の獄中暮らしは彼から社会への順応性を奪ってしまっていた。
知性も社会的地位もあった菊谷が、一時の感情で人を殺め、出所後は塀の中の庇護を懐かしむ気持ちに苛まれ、かつ、自分の犯した殺人を客観的に捉えて反省する事も出来ない。出所仲間が改悛の情を見せていてもそれを信じない。人間の行為は罰せても心は罰する事が出来ない、という言葉が読後の頭に去来する。人間の心の闇を鋭く突く事に非常に長けた吉村昭らしい作品。